2013年9月23日 星期一

天竺渡来的觀音菩薩~西國三十三札所巡禮

西國觀音靈場第六番
壺阪山 (つぼさかさん)  
南法華寺 (みなみほっけじ)    
通称 壺阪寺

〔宗派〕 真言宗
〔開基〕 行基上人 (べんきしょうにん)
〔創建〕 大宝3年 (703)
〔御本尊〕 十一面千手千眼観世音菩薩
〔真言〕 おん ばざら たらま きりく

行基菩薩何許人也?
在“扶桑略記”裡有云:

聖武天皇十七年乙酉正月己卯
二十一日,以行基菩薩為大僧正,并賜四百人出家僧侶。大僧正職,此時始矣。菩薩未經僧位,不受於具足戒,尚是沙彌也。一云,年十五歲出家入道,廿四歲受具足戒。俗姓高志氏,和泉國大鳥郡人也。初出胎時,胞衣裹纏。父母忌之,閣樹岐上。經宿見之,出胞能言,收而養之。出家入道,住藥師寺,周遊天下,廣化群迷。道俗慕化,追從者動數千。所行之處,聞和尚來,巷無居人,爭來禮拜。諸要害處,造橋築陂,見聞老少,咸集加功,不日而成。所止之房,多植菓樹,建立道場,四十九所。古老云:「菩薩好行度。」敕捕其身,禁固枳林。雖藏內而身尚遊外,仍散禁。又菩薩少年之時,隣子村童相共讚嘆佛法。余牧兒等捨牛馬而從者,殆垂數百。若牛馬之主有用之時,令使尋呼。男女老少來覓者,聞其讚嘆之聲,不問牛馬,泣而忘歸。菩薩自上高處,呼彼馬喚此牛,應聲自來,其主牽去。并讀瑜伽唯識論等了,知奧義。又行諸國,歸於故鄉。里人大小會集池邊,捕魚喫之。菩薩過於其處,年少放蕩者相戲,以魚膾薦於菩薩。菩薩食,須臾吐出,其膾變為小魚。見者驚恐。

初出胎時,胞衣裹纏。父母忌之,閣樹岐上。經宿見之,出胞能言,收而養之。

虛雲老和尚與憨山大師,亦皆”初出胎時,胞衣裹纏。“
難道虛雲老和尚與憨山大師,乃行基菩薩的前世今生?

聖武天皇廿一年(天平感寶元)己丑
二月二日丁酉,行基菩薩於菅原寺東南院,右脇而臥,身心安穏,如入禪定遷化。春秋八十歲。最後遺誠云:「弟子光信法師為世眼,我之所造四十九院,悉付屬汝。」又諷弟子等云:「口虎破身,舌劔斷命。汝等能可慎口業,塞口可令如鼻。」


 〔略縁起〕 大宝三年(703)、元興寺の弁基上人がこの山で修行中、愛用の水晶の壺中に観世音菩薩を感得。 壺を坂の上の庵に納め、観音像を刻んで祀ったのが始まりという。  養老元年(717)、元正天皇により八角円堂が建てられ、南法華寺の正式寺号を賜った。 平安時代には清和天皇、藤原道長ら貴顕の参詣が相次ぎ、霊験の山寺として、また真言密教の一大道場として繁栄した。 『枕草子』には「寺は壺阪。笠置。法輪」と名を挙げられており、その隆盛ぶりがうかがえる。
 礼堂に続く本堂八角円堂におわすご本尊は、十一面千手観世音菩薩。 胸の前に手を合わせ、法力を湛えたお姿で、衆生救済への力強い意地を感じさせる。 殊に眼病に霊験あらたかな観音様である。
 明治の初め、盲目の夫沢市とその妻お里の夫婦愛を描いた浄瑠璃『壺阪霊験記』は、壺阪寺に伝わる観音霊験譚を下敷きに書かれたもの。 こうした物語が伝えられるほど、壺阪寺の観音様は目の観音様として広く信仰を集めてきた。
 また、昭和三十九年より始まったインドでのハンセン病患者救済活動のご縁からご招来された、世界最大級の天竺渡来大観音石像、大涅槃石像、大釈迦如来石像等、巨大石像群が境内にシルクロードの香を漂わせる。

 一進寺院就見此壯觀的石像,這在所有觀音靈場是絕無僅有的!讓人不可思議的是佛像是“天竺渡来”的!不是大陸進口的!(不同於台灣,匠氣十足)

昭和39年よりインドでのハンセン病患者救済活動を行い、そのご縁でインドから招来された世界最大級の天竺渡来大観音石像、大涅槃石像、大釈迦如来石像等の巨大石仏が境内に安置されている。

關於行基菩薩有一段很精彩,必須記上一筆!
『文殊為利眾生,赴日本國。爰菩薩感念戀慕,為遂本懷,進來此朝。』」

聖武天皇十八年六月丙戌

 或記云,同年七月,天竺婆羅門僧菩薩始來本朝。天皇建東大寺,為開講供養。敕書曰:「屈請行基大德,右奉為大佛供養講師,屈請如件。辭曰:『沙門行基謹言。不堪奉仕大佛會講師事,右從南天竺國可來觀自在菩薩,願相待可被請用講師。』者。天皇感念,止事待來之間,南天竺迦毗羅衛國【私云,迦毗羅衛國,是非南天竺。如何。】婆羅門僧菩薩,為謁文殊師利菩薩,自天竺至大唐五臺山。時老翁逢路,告云:『文殊為利眾生,赴日本國。爰菩薩感念戀慕,為遂本懷,進來此朝。』」其時行基菩薩奏曰:「天竺上人已來,欲行迎者。」奉敕,率治部玄蕃雅樂三司,向難波濱奏音樂。於是行基在百僧列,以閼伽一具燒香盛花,泛海上。香花自然指西而去。俄頃,遙望西方,小舟來向。近而見,舟前閼伽具等,次第不亂,小舟著岸。一云,先見海上,有千万率都波。人見為奇,盛花燒香供率都波之前。有一梵僧上濱,與行基菩薩攜手相見微咲。先以梵語敬禮,次菩薩詠和歌云:「迦毗羅衛に爾,昔契甲斐有,文殊之御顏,會見つる哉。」行基菩薩云:「靈山,釋迦之御前,契りてし,真如不朽せ,相見つるかも 。」又菅原伏見鄉三年睡眠人,謂盲聾,由菩薩唱起儛,謂之十天樂也。菩薩入洛詣東大寺,天皇感,欲賜食卦戶,敕令巡禮諸寺,至大安寺東僧坊南端小子坊留住。後尋處,給官額,曰菩薩僧正院。


天竺渡来大観音石像、大涅槃石像、大釈迦如来石像,正俯視著,整片關西大地,懾受這片土地的眾生!


 この石像は全長約8m、重さ約30トンといわれており、平成11年(1999年)4月にここに安置されたようである。
十一面千手千眼観世音菩薩
此行光是親訪這些石雕佛像,便是無價之旅!

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